目次 : 月別 2010.11



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秋の紅葉 

 教会婦人会の皆さんと“平林寺”の散策をしました。
平林寺は、臨済宗妙心寺派の寺院。山号は金鳳山。修行道場として僧堂が設置されています。

境内林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されました。
 永和元年(1375年)現在のさいたま市岩槻区に創建されましたが、寛文3年(1663年) 川越藩主松平信綱の遺志をうけて、子の輝綱が菩提寺として野火止に移転。2009年(平成21年)11月26日、天皇皇后両陛下が訪問された。なお、1977年(昭和52年)以来(皇太子時代)の再訪である。
  * 山門 - 木造、茅葺、寛文4年(1664年)建立。上層に十六羅漢像を安置する。埼玉県指定有形文化財。
* 仏殿 - 埼玉県指定有形文化財
* 中門 - 埼玉県指定有形文化財
* 平林寺境内林(国の天然記念物)
* 惣門、三門、仏殿、中門(埼玉県指定有形文化財)
* 平林寺文書22通(埼玉県指定有形文化財)
* 平林寺林泉境内(埼玉県指定名勝)
* 松平信綱夫妻墓 - 大河内松平家歴代の墓もある、埼玉県指定史跡
* 安松金右衛門墓、小畠助左衛門墓 - 野火止用水開削の功労者
* 島原の乱戦没者供養塔
* 増田長盛墓
平林寺1平林寺2
上:支えている木が折れそうです・・。下:真っ赤に色づいた紅葉
平林寺3 平林寺4
境内の色とりどりの紅葉が、綺麗でした。
 しかし、昔300円だった入場料が今は、500円になりました。
境内は、ただ、だだっ広いだけで、有名な人のお墓が祀ってあるだけ・・。ここは、お墓巡りの地です。
 みんなで紅葉を見ながら、お弁当を食べました。私は、この後歯科健診と骨粗鬆症健診があり自転車で移動しましたが、この日結局、10km~自転車になったことになりました。風が強かったので、結構自転車はきつかったです。次の日なぜだか、足ではなく右肘が筋肉痛・・。ハンドルをしっかり押さえていたためでしょう。
 カメラを忘れたので、この写真は携帯で撮りましたが、何とか写っていて?良かったです。



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今年のクリスマスカード 

 今年もいよいよクリスマスの時期が近づいてきた。
私が、ボランティアをしている老人ホームも9回目のクリスマス会を12月22日に控え、毎年入所者の方々に手作りしているクリスマスカードの制作に取りかかった。
 以前は、色々と凝って作っていたけど、年々私も奉仕等で忙しくなり入所の方々全員分の100枚のカードを手作りするのが困難になってきたので、去年から同じ手作りでもパソコンを使って時間短縮をした。
今年のカードは、下記だ!!・・入所者の方には、まだ内緒だよ!
カード1 カード2

100枚準備。後は、一人ずつの名前とコメントをカードに手書きするところまで出来たよ!去年からカードにトラクトも入れている。
今年のトラクトは、福澤満雄師の“すばらしい喜びのおとずれ”だ。
先生は、ジャパンクルセードの主幹をされていて、日蓮宗からキリスト教へ回心された方だ。どうぞこのカードとトラクトが用いられますように・・。


ピザの日 

ピザの日(11.20)

11月20日は「ピザの日」です。これを定めたのは意外にもトッパン印刷。ピザはイタリアの文化の象徴と考え、これをPRする日として定めたものです。ピザの日に11月20日が選ばれたのは、イタリアの代表的なピザのひとつである
「ピッツァ・マルゲリータ(Pizza Margherita)」の名前の元になったイタリア王妃Margherita di Savoia(1851-1926)の誕生日が11月20日だからです。
マルゲリータはジェノヴァ公フェルディナンドの娘ですが、当時のイタリアはまだ統一前の激動の時期。父が4歳の時に亡くなってからは、かなり厳しい生活をしていたようです。勧められていた別の王族との結婚を蹴って従兄のウンベルト(Umberto,1844-1900)と結婚し、やがてそのウンベルトが統一イタリア第2代の国王になりました。
 1889年にマルゲリータがナポリを訪れた時に、ピザが食べたいと所望しました。
するとナポリのピザ職人Don Raffaele Espositoがイタリアの国旗をモチーフにして、緑のバジル、白のモッツァレラチーズ、赤いトマトで飾ったピザを作りました。これが「マルゲリータのピザ」と呼ばれて定着したのです。
2004年、イタリアはピザの伝統が失われないようにと農業省がピザの作り方のガイドラインを発表しましたが、そこで定められたのが、マルゲリータ、エクストラ・マルゲリータ、マリナーラ(Marinara)の3種類だそうです。
ピザ的な食べ物はかなり昔からあり、ギリシャ時代にもプランクントスと呼ばれる、パンの上に色々なトッピングをしたものがありました。ピザの重要な食材であるトマトとモッツァレラチーズは、16世紀から18世紀に掛けてイタリアに入ってきたようです。そして1830年にナポリでAntica Pizzeria Port' Albaというピザ屋さんがオープンしています。しかし現代のピザの原型となったのは、やはり1889年のピッツァ・マルゲリータであるとされています。
 その直後の1895年、イタリアからアメリカに渡ったGennaro Lombardiがニューヨークでピザ屋さんをオープンさせていますが、当初はそれほど話題にはなりませんでした。しばしば食べ物を普及させるのは戦争です。第二次世界大戦でイタリア戦線に行ったアメリカ兵たちが現地で食べたピザの味が忘れられず、帰国してからピザ屋さんに良く行くようになります。そのためアメリカでは戦後急速にピザが普及し、1954年にSherwood JohnsonがShakey's を創始、1958年にはFrank & Dan Carney兄弟がPizza Hutを創始しました。

 今日日本でピザといえば宅配ピザが全盛ですが、こういうシステムを考えたのはアメリカのミシガン州で1960年にピザショップDomiNickを始めたTom & JamesMonaghan兄弟です。彼らは強力なオーブンを使って短時間でピザを焼き上げ、「注文を受けてから30分以内に届ける。遅れたら50セント引き」というシステムを作り上げました。これが現在の「Domino's Pizza」の始まりです。ドミノピザは1985年には日本にも上陸。ドミノは日本の都会の劣悪な交通環境の中で「30分以内」というのを厳守するために、バイクメーカーに協力を求めて、宅配用スクーターの開発もおこない、以降このシステムを真似た宅配ピザの店が全国にまたたく間に広がることとなります。たださすがに最近は本家以外は「30分以内」は返上してしまったところが多いようです。

 イタリアの伝統的なピザは35cmサイズですが、アメリカでは40cmサイズが標準的だそうです。生地の厚さもイタリア方式は3mmが標準ですが、アメリカではこういう薄い生地はニューヨークスタイルといい、もっと厚い生地を使用するシカゴスタイルと人気を二分します。

本来ピザの生地は小麦粉を塩・食用油・イースト菌などと一緒に練り発酵させた上で団子状にまとめたものを指の上で回転させて円形に広げていきます。
 これを英語ではフライング・ピザ法(Flying Pizza Pattern)といい、柔らかい生地を作るのに最適の方法とされます。私たち素人はそこまでできないので台の上で棒やてのひらで伸ばしていくまでがせいぜいですが、外食産業などでも、フライング製法を採用しているところはそう多くないようです。

11月20日生まれの人を調べてみましたが・・。
マルゲリータ:MargheritadiSavoia (1851)・・イタリア王妃
ケネディ,ロバート (1925)・・兄・ジョンFケネディが大統領の時、司法長官を努めた。1963年に兄が暗殺された後、ニューヨーク州の上院議員選に出馬して11月に勝利したが、1968年に、民主党の大統領候補指名選のキャンペーン中に暗殺された。
市川 崑(1915)・・故・映画監督
萬屋 錦之介(1932)・・故・歌舞伎役者・映画俳優
浜 美枝(1943)・・女優
中村 芝雀(1955)・・歌舞伎役者・四代目中村雀右衛門の次男
米山 篤志(1976)・・・サッカー選手
伊勢ヶ濱 清之輔(1941)・・秋田県雄勝郡雄勝町(現在の湯沢市)出身で荒磯部屋(後に伊勢ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。
秀ノ海 渡累(1965)・・元・三保ヶ関部屋力士
清水 圭子(1958)・・・NHKアナウンサー


TOTOさんの誕生日の出来事2 

 この日の午後3時過ぎ横浜元町で友達ご夫妻のコンサートが終わってから、私は、Uさんと元町の駅まで歩きながら食事でもしようと(実は、お昼ご飯を食べる暇がなかったので・・。)思っていたのですが、すぐ入れそうなお店がなくて、とうとう夜のコンサートのある池袋まで、来てしまいました。
 そこで、マルイの招待券を持っていた私は、(そんな物貰ったことないので、凄い割引があるのだと思っていましたが・・。)会場のサンシャインまで、Uさんと行って食事をしようと思いました。マルイの無料バスに乗って行ってみると、即、商品売り場へ案内され直行・・TOTOさんへのプレゼントを買ってさていよいよお昼だ~~と、お店に入ろうとしましたが・・。
 Uさんいわく。「ねぇ。もう、5時30分過ぎだよ!!音楽会何時から?」私「え!?うそ?!6時30会場。7時から・・。今からお店には行ったら間に合わなくなるね。マルイのバスも15分くらい待つし・・。」
 と、言うことでたまたま売っていた稲荷を3個買って、池袋駅に戻りました・・・。「じゃあバイバイ。」と、Uさんは、帰って行きました。済みませんUさん。結局さよが、振り回したあげく食事も出来ませんでしたね・・。おっちょこちょいのさよを見てUさん、笑っていましたが・・・。
 「あぁ間にあった!」とばかりに、芸術劇場のなが~いエスカレーター(5階分の長さです)を登り入ろうとして気がついた。いなりを食べる時にお茶が欲しい・・。受付の方から。「ここには、自動販売機も何もありません。館内にも設置されていません。」と言われ、しかたなくもう一度、今度はエレベーターで1階へ・・。探せど探せどお茶はなし・・。近くのコンビニを見つけて猛ダッシュ!!・・またまた、あのなが~くて時間のかかるエスカレーターに乗る・・・これ、非常時は大変だろうな・・。人がこんなに沢山乗って、これしかホールに行く手段がないし・・。と考えながら、今度は、やっと入場した。
 チケットの番号の席へ着くとTOTOさんが先に来てもう座っていた。「ね。いなり食べれるかな?」「だめだよこんな所で・・。ロビーでちょいちょいと食ってこい!」と、いわれたさよ。
 ちょいちょいとなんてそんなにすぐ食べれな~い!!
味わう暇もなく、喉を詰まらせながら3個も平らげた・・。TOTOさん。「え?3個!!も食べたの?しっかり食べたなあ・・。」だって。
 さて、肝心のコンサート。これがまた、凄かった。
“パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団”の演奏会で吹奏楽だけあって、会場は吹奏楽をやっている中高校生がいっぱい!
 吹奏楽も上手かったけれど、なんと言ってもこの時のゲストとして演奏した、日本人でパーカッションの“石川直”(なおき)さんの小太鼓演奏。・・・ものすごかった!!もうビックリです!!アメリカで鍛え抜かれたそのスーパーパーカッションのパフォーマンスは、圧巻でした。
機会があったら、皆さんも聞いてみてください。
このあと、食事をしたのですが、これが一時期はやった創作料理店で、なにやら不思議な料理ばかりで、不満の残る食事となった・・。
この日は、食事には、恵まれない一日となる。
・・と言うことでTOTOさんの誕生日のまきはおしまい。


TOTOさんの誕生日の出来事1 

 11月のある一日、TOTOさんの誕生日だった。この日は、忙しかった!!
私の友達夫妻が、横浜元町にあるイギリス館で始めてのジョイントリサイタルを開かれ、また夜はTOTOさんの好きな吹奏楽のコンサートを聞きに行ったのです。
 友達ご夫妻のコンサートは、お昼1:30からでしたから充分、夜のコンサートにも間に合う予定?でした・・・。いえ間に合ったのですが・・。
 初ジョイントリサイタルは、とてもご夫婦の息が合った素敵なコンサートでした。また、イギリス館が素晴らしかった・・。音響は良いとは言えませんが・・。2階に上がるとイギリス製の食器セットした部屋を誰でも見学できるように展示してあります。外国に来たような雰囲気にさせてくれました。
ご夫妻コンサート1 ご夫妻コンサート2
ご夫妻コンサート3 ご夫妻コンサート4
ご夫妻コンサート5

 元町自体も坂が多くて紅いバスが走っていたり、迎賓館跡も残っていて異国情緒を感じさせます。
戸叶夫妻コンサート元町6 戸叶夫妻コンサート元町7


・・・13日~14日の2日間APECが、横浜で開かれるそうでそこら中に警官警官また警官と、全国から集結されています。物々しい警備でした。


日本福音功労賞顕彰式 

11月1日、お茶の水のホールで日本福音功労賞顕彰式が行われた。
これは、これまで日本のキリスト教福音のため献身してこられた先生方を表彰するもので、故・本田弘慈師が、提案され始められたもので毎年、数名の功績のあった先生方に贈られている。今年で18回目だった。
 今年は、3名の先生方に送られた。その中の一人にヘック夫妻がおられた。
功労賞1  功労賞2


この先生は、丁度20年前私に受洗を授けてくださった宣教師で3年ほど前にチーム宣教団を退職し現在は、アメリカのフロリダに住んでおられる。
 久しぶりの再会となった・・・。ご夫妻は、36年間日本の宣教に携わられ初任地は、四国の高松、その後埼玉、東京、千葉と、転々としながら開拓伝道をされてきた。それに長くチーム宣教団のリーダーもされた。
 私が信仰を持つきっかけをつくってくださったのは、ヘック夫人のしつこいばかりの(始めはそう思っていましたが・・。)神様の話・・。
 子供が小さかったので時には、公園で遊ばせながら先生は、何時間でも私に話された・・。話に夢中になって子供がブランコから転んで擦り傷をつくったこともあるくらいだった。・・それくらい熱心だったのだ。
 始めは、鬱陶しく思ったこともあったけれど、私はどんどん惹かれていった。そして、とうとう受洗前だったけど私は、自宅を開放し毎週金曜日に聖研を始めた。・・・毎週簡単なお昼を準備した。
 ヘック夫人は、毎週決まった時間に必ず来てくださった。一人二人と人数も増えていき6~7人くらいの人が集まった。ヘック夫妻が、東京に移動されるまで、一年間続いた。・・教会も受洗も主人から反対されていた私は、日曜日の礼拝にも出席できず、本当に毎週ヘック夫人に会うのが楽しかった。(今は、自由に教会に行っていますが・・。)
 そこに来ていた人が、私より先に受洗された事もあった。
その時救われた人が、最近また近くに転勤で来られて時々、教会に来られている。・・・20年ぶり・・。
 先週アメリカに帰られる前、ヘック夫人と長電話・・・。日本では、宣教団の宿舎に宿泊。携帯電話もちゃんと、貸してくれる人がいるそうで・・。いくらでも使って良いですと言われた・・そうだけど。1時間過ぎちゃって、ちょっと長すぎたかしら・・・?
女同士は、元々お喋りなんです・・。まだ、国際電話じゃないからいいっか!!
 宣教師の先生方は、本当につつましい生活をされていますので、私達は、常に先生達に負担を掛けないように考えなければ行けません・・ね。
夫人は来週、目の手術だそうです。無事に済まれますように・・。

 さて、功労者受賞者の中に“湊晶子師”(内平晶子さん)という方がおられた。元、東京女子大の学長さん。この方は、11月3日秋の褒章を受けられた方だ。クリスチャンでもあり伝道者でもあるこの先生は、「私が今までやって来たキリスト教を主体とする教育を国が認めてくださった事は、教育的にも意義がある事だと思う。」とおっしゃっていた。


マカロン 

 先日、始めて“マカロン”と言うお菓子を食べた。
最近、良く耳にするお菓子だが、実物を見たのも、勿論食べたのも始めて。
クッションのような形をした、ケーキのような?マクドナルドのバーガーを小さくしたような感じのお菓子でした。
 たまたま、行く予定だった音楽会に行けなくなり、ご近所の方に差し上げたら、おみやげにホテルニューオータニの“マカロン”をくださった。
・・チケット差し上げた意味がなくなるのにね・・・。

 小さなマカロンが6個セット、近所の子供に2個あげたので後は、話の種に食べてみることにした。
~~ん~~!何だか、砂糖のようなクッキー生地。ふわふわしていて壊れそうなくらい。・・TOTOさんとふこさんにも食べて貰ったけれど、あまり好評ではなかった・・。
見た目は凄く可愛いけれど・・。

 しかし!後で値段を調べてビックリ!!
6個入りで2100円もした!!!(¥@\)そんなに高かったのこのお菓子!?1個350円もしたんだ!!じゃあもう少し、大事に食べれば良かったかしら・・?
 ◎さんおみやげ有り難う!!でも、さよの家族は、価値が解りませんでした。高級品はあわないようです・・・。感謝して。


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