目次 : 月別 2013.04



さよ イタリアへ行く~その4~フィレンツェ 

4月20日AM9:00私たちは、ヴェネツイアのホテルを出て水上バスでトロンケット(船着き場)へ。トロンケットからバスに乗りフィレンツェへ。(約267㎞)
途中、中世ボローニャで昼食をとる。
バス搭乗中、大雨が降ったらしい。イタリアでは、毎日雨が降るよ~と言われる程、良く雨が降る・・しかし今回雨になりそうなときはあったものの一度も傘を使わずに済んだ!!今回のツアーメンバーは、僧侶夫婦、IT社長夫婦、大学教授夫婦、一人で参加した未亡人と私たち夫婦。なんでこんなおもろいメンバーだか、私たちが一番普通に見えるのだが・・??
 バスから見る菜の花が、満開で黄色がとても綺麗だった・・!
ちなみに、スパゲッティボローニャ ネーゼ・・挽肉料理が有名
ナポリタン・・ソーセージ、タマネギ、ピーマンを炒める食べ方は、イタリアには存在しない。(日本独特)
 イタリアは、南北に長い。フィレンツエは、真ん中にありトスカーナ大地のへそといわれる。トスカーナ地方は農業が盛ん。(小麦、まめ、オリーブ、ぶどう、牧畜)
周辺国では、フィレンツエのことをフローレンス(花の都)地方と呼んでいて、ルネッサンス文化の花だった。
メディチ家は金融業などで有力になり、商人と銀行家は市政の指導的な立場にたち、フィレンツェを美しい都市にする事業に着手した。15世紀貴族メディチ家は、パトロンとしてレオナルド・ダビンチ、ミケランジェロ、ボッチチェリ等の芸術家を擁護し育てた。→ルネッサンス(芸術革命)「ドーモ」建設。フィッツイ美術館に展示。
 フィレンツエの特産品は、皮なめし・・グッチなど。皮製品、貴金属が有名)

ベッキオ橋(ベッキオとは、古いと言う意味)アルノ川に架かる橋。イタリア語で「古い橋」の名が示すとおり、フィレンツェ最古の橋。河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたもの。メディツイ家が、ビッティー家から、買い取ったピッティー宮殿に行く途中の橋で、買い取る以前は、食肉販売の店が並んでいて、贓物を川に流していたため河は、汚れていたが、メディツイ家は、ここを貴金属店のみと変えた。
 オペラ「ジャンニ・スキッキ」(喜劇)の中で歌われる“私のお父さん”(O mio babbino)で、彼を認めてくれないならベッキオ橋から身を投げるわ~♪と歌われているところ!
・・・私は、実在したベッキオ橋を見て感動した!!
でも、本当に古い橋で!!観光客であふれかえったおせいじにも綺麗とは言えないような橋でした・・(^_^;)
{イタリア共和国とは、長らく都市国家が存在した。1861年ビクトリア・エマニエル2世によって統一。フィレンツエもヴェネツイア共和国、ナポリ王国と同じ王制だったが、1946年(昭和21年)共和国として出発。20の柵があり、2つの独立国がある。{バチカン市国(世界最小国)とサン・マリノ共和国(世界3番目に小さい)がある。ちなみに2番目に小さい国は、モナコですよ~。}
 回りが海のため、魚貝が豊富。イタリア・スペイン・ギリシャは、たこも食べる。
半島の真ん中にアペニン山脈があり火山地帯。地震も多い。殆どは、カトリック教徒。ラテン系の失業率は13%。ミラノ・フィレンツエの失業率は低い。
ローマより南は、失業率が高い。国民総生産が南と北で差が大きい。
労働時間一週間32時間。一日にすると4~6時間。夏は1月休み。家族の繋がりが強い。・・・・労働時間少なすぎじゃないのかなあ~~?それで、経済危機って言ってるのかなァ!?
 イタリアのメディツ家は、お金はあったが名誉がなく、格式を欲しがった。
フランスのフランソワ1世アンリ王子とメディツ家カトリーヌメディチ結婚。フランスの王妃となる。
☆ローマ教皇レオ10世メディチ家出身。免罪符を造った教皇でもある。
当時神学生だったマルチンルターは、教育された裕福な商人の男子のみにしか読めなかった聖書(ラテン語、ギリシア語)をドイツ語訳にした。ルターのドイツ語訳は、ウィッツィー美術館保存。(メディツ家が残した)
ウィッツィー美術館は、メディツ家の事務所だったところで、メディツ家の子孫が途絶えたときに遺言で、財産を一カ所に残すと言う約束で、フィレンツエ市に寄贈された。美術館には、ボッチチェリ「春」、ビーナスの誕生などの名画が残る。
 ベッキオ橋1 ベッキオ橋2
ベッキオ橋とその内部。どこも人でいっぱい~!!全部貴金属店でした!


さよ イタリアへ行く~その3~ヴェネチア本島2 

イタリアは、ギリシア時代より都市国家が成立していました。それが、イタリア共和国と言われる所以です。イタリア王国として1861年3月建国して、およそ160年が経ちます。(フィレンツェは、ルネッサンス16世紀、バチカン市国は、18世紀、ローマは1世紀)
 ヴェネツイアは、中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」などの別名をもつ。英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれることもある。
ヴェニスが、開けたのは9世紀で177本の運河、400の橋があります。
 外敵から守ろうと干潟に建物を建てたため、大量の丸太の杭を打ち込みそれを建物の土台とした。そのため、"ヴェネツィアを逆さまにすると森ができる"(地中に丸太が乱立するがごとく大量に打ち込まれたため)、と言われている。丸太は、空気に触れないくらい大量に打ち込まれているため、腐らないそうだ!!
 ヴェネツィア共和国は11世紀には強力な艦隊と商船を有し、アドリア海から東地中海、黒海の海上貿易を独占、東方貿易(レヴァント貿易)の中心地として栄えた。
14世紀、商業国家として全盛期。16世紀オーストリア領となりヴェネツィア共和国は消滅した。1866年、イタリアはベネツィア併合を実現した。

 エキゾチックでイスタンブールと似ている。世界で唯一車が走らない、自転車も禁止されている。その代わりゴンドラがあり、昔は自家用ゴンドラを持っていてどんどん派手になるので今は、色を黒に統一した。
 観光をするには、自分の足で歩くしかなく、私たちは毎日、1万歩以上~~良く歩いた!!4月19日午前中は、ドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場、ため息の橋 の観光をしたが、午後自由散策でS.ZACCARIA(サン・ザッカリア)より水上バスに乗り15分S.GIORGIO(サン・ジョルジョ)へ。
ドゥカーレ宮殿 ゴンドラ体験


左の写真は、サンジョルジョから、サンマルコ広場(ドゥカーレ宮殿)方面を撮ったもの。右は、ゴンドラ体験。実に不安定で乗り心地悪い。ゴンドラは、左右対称ではなく、左の方だったと思うが大きく造られている。船頭さん!携帯話しながらの船こぎは、ゆらゆら揺れて危ないよ!!
サンジョルジョ1 サンジョルジョ2
水上バスから見た、サンジョルジョ教会堂。

 現代のヴェネツィアは、他地域への人口流出、水害や地盤沈下、大気や水の汚染、建造物の老朽化など多くの問題に直面している。1966年の大水害の後には、歴史的な町を守るための国際的な運動がユネスコの主唱で組織された。
水没 水没用踏み台

雨期には、サンマルコ広場は水没する。このため所々に水没時に使う、踏み台が重ねて準備されていた。



さよ イタリアへ行く~その2~ヴェネチア本島1 

ヴェネチアと言えば、ベネチアガラス。ヴェネチア刺繍。・・そしてなんと言ってもヴェニスは水の都、ゴンドラを想像されるでしょう。
私たちの泊まった「サトゥルニア エ インターナショナル」ホテルは、サンマルコ広場まで200㍍の所にある。
サンマルコ広場1 サンマルコ広場2
サンマルコ広場。右の2本の柱の真ん中で囚人の処刑が行われていた・・!!


4月19日(金)午前中、ドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場、ため息の橋 の観光をした。
ドゥカーレ宮殿 ドゥカーレ宮殿内部


 ドゥカーレ宮殿・・サン・マルコ広場にあり、共和国の総督邸兼政庁だった建造物。8世紀に創建され、14世紀(1309年)-16世紀にかけて現在の形に改修された。
外観はゴシック風のアーチが連続し、イスラム建築の影響も見られる細やかな装飾が施されている。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの館で、ルネサンス建築の傑作である。1465年頃に完成した。現在はマルケ国立美術館になっている。運河を隔てて対岸の牢獄跡と、ため息橋で結ばれている。

ため息橋 ベネチアガラス
後ろに見えるのが、ため息橋。右の写真は、ヴェネチアガラス。


 ため息橋・・、16世紀に架けられたヴェネツィアの橋の1つである。白の大理石で造られたこの橋には覆いがあり、石でできた格子の付いた窓が付けられている。ドゥカーレ宮殿の尋問室と古い牢獄を結んでいる。

ため息橋からの眺めは囚人が投獄される前に見るヴェネツィアの最後の景色であった。ため息橋という名前は、独房に入れられる前に窓の外からヴェネツィアの美しい景色を見られるのは最後であるというので囚人がため息をつくというところから、19世紀にジョージ・バイロンが名づけたものである。

ヴェネチア出身者:
 ☆13C マルコポーロ 東方見聞録を書いた
 ☆カサノバ総理 のちに牢獄から脱走し「我が逃亡の記」出版
 ☆アントニオ・ヴィヴァルディ カトリック司祭、バロック末期の作曲家。
映画:
 「リプリイ」「カサノバ」「ベニスの商人」

土産物屋 ゴンドラ
左:街の中の商店 オペラ座の怪人のようなお面は、お祭りの時に使うそうであちらこちらで売られている。 右:ゴンドラ これに乗るには行列で待つ。観光化されていて次から次へとささっと乗り合わせる。1艘に5~6人乗りで30分の遊覧は、どこも満員御礼だ。




さよ、イタリアへ行く~その1~ 

 2013年4月18日、AM:6:30かねてから計画してあった、はじめての夫婦イタリア旅行へ出発した! 成田空港第Ⅰターミナル南ウイングでのツアーコンダクターさんとの待ち合わせ。チェックを済ませてAM:11:00すぎ私たちの乗ったANAの飛行機は、乗り継ぎ空港のドイツ フランクフルトへ向けて飛び立った。
フランクフルト1

フランクフルトには、現地時間PM:4:38着、晴れ ここで、5時間の待ち時間の後、イタリア ヴェニス(ベネチア)に向けて飛び立つ。
 ドイツの空港は、入国検査が厳しい。一人一人丁寧に時間をかけるので入国審査だけで1時間近くかかる。
 フランクフルトは、かなり北側に位置するためPM:7:30でも日本の夕方4時~5時位の明るさです。・・まだ、西日が差していました・・・。この時間日本は真夜中の12:30・・7時間の時差です。“Coa"知 と言う喫茶店で添乗員さんが、皆さんに飲み物のサービスをしてくれた。(ドイツは、暗いというイメージがありましたが、こんなに明るいとは思いませんでした。)時計を忘れたので空港内で買う。
フランクフルト2
この明るさで、PM7時30分頃ですよ!!

その後、PM9:55のルフトハンザ航空にのってイタリア ベニス・マルコポーロ国際空港にPM:11:30頃着。そこからバスで15分、トロンケットという船着き場に降り立った。ここからまた、船(水上バス)に乗り20分~ベネチア本島の「サトゥルニア エ インターナショナル」ホテルに到着したのが、AM:12:10頃。夜中だった!
日本を発ってここまで、14時間を過ぎている~!!よくぞ、こんな遠くへ来たモンダ!!
ベネチア1  ベネチア2
左:トロンケットの船着き場。夜中の12:00過ぎで、ガランとしている。 
右:船でベネチア本島に渡った風景、ホテル街。





明日は、コンサートです! 

菩提樹の会

いよいよ明日に迫ったオペラの先生の門下、コンサートです。
イタリア歌曲「ストルネッロ」
オペラ“カルメン”ミカエラのアリア
今日はしっかり寝ようっと! 明日朝は、三鷹の武蔵野文化会館に集合、簡単な音合わせ。一時からコンサートが始まって、終了後は打ち上げ。明後日の日曜日は、奏楽奉仕なので帰ってからの練習・・!
ガンバロー!!歌がもっと上手に歌えるようになるように!主の讃美をもっと、上手に歌えるようになるように!!