目次 : 月別 2013.05


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昨日、身体の定期検診 

昨日は、礼拝の前に身体の定期点検でした~!まだ、バリウム中毒??(笑)から、抜け出せずドンヨリした1日です。天気は晴れですが・・。

え??日曜日なのに??って思われる方もおられるでしょうね。
主人の会社の婦人検診なのですが、他の検診は乳がん検診、バリウム検診と別になっていて一度に終わらないものばかりですが、この日は、他社に委託してありますがすべてを1日で終わってくれるので、助かります!
それで、礼拝の前に(実は、検診場所が直ぐ近くの徒歩2分くらいの公共施設であったので申し込みました)出来ると思ったのですが・・。
 終わって礼拝に出ると丁度献金の時間でした。
丁度特伝で、クリスチャン新聞の方が来られていたので、今度出版された「創造訳聖書」(実は、広告を見て買いたいと思っていました)を早速買いました!!
~~今日は、新解約聖書と同じ所を読み比べています・・・。ちょっと違和感があるな・・。でも、図解入りで解りやすくまとめてあります。

ポリープ宿って20年
ヤドカリみたいに胃に住んで
じっくり共存しています~~ 健康優良児かな
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ナタリー・ディセイ 

ナタリー・ディセイの素晴らしい声にうっとり~!
私は、2010年トリノ王立歌劇場 日本公演でデセイのヴィオレッタを聞く機会がありました~~!!生で聞くと一段と、違います!涙が出る程、素晴らしいオペラでした~!!こんな声、出ないかしら・・♡


新・老(゜◇゜)ガーン 

歳は隠せません~新・老(゜◇゜)ガーン
数年ぶりで老眼鏡を作りに行きましたら・・・「随分進みましたね!歳の割に進んでいますよ==!!」と言われました!!(゜◇゜)ガーン
パソコン辞めようかな・・・(´。`)
老眼


さよ イタリアへ行く9~システィーナ礼拝堂・トレビの泉・スペイン広場~ 

システィーナ礼拝堂は、奥行き40㍍、高さ20㍍、幅14㍍で、ローマバチカン市国の中にあります。
1477~1480年シクストゥス4世が建て直させた建物で、その教皇名(伊: Sisto IV)にちなんでシスティーナ礼拝堂と名付けられた。、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ピントゥリッキオら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちが内装に描いた数々の装飾絵画作品で世界的に有名な礼拝堂である。とくにローマ教皇ユリウス2世の注文でミケランジェロが1508年から1512年にかけて描いた天井画と、ローマ教皇クレメンス7世が注文し、ローマ教皇パウルス3世が完成を命じた、1535年から1541年にかけて描いた『最後の審判』はミケランジェロの絵画作品の頂点とされている。
システィーナ礼拝堂

 天井の真ん中は、創世記。側面は、予言者の図。漆喰画、フレスコ画で描かれています。ミケランジェロは、60代で391人物を描いています。1512年に完成しました。
 1564年、ミケランジェロが亡くなった後、礼拝堂なので、と言うことでボルテッラが、裸を隠すため筆を入れた事で“ふんどし画家”と呼ばれましたトサ・・。

 さて、ここで3月に行われたのが、「コンクラーベ」です!覚えておられる方も多いと思いますが、2月末にローマ法王を退位したベネディクト16世の後継者を選ぶ選挙(コンクラーベ)の会場となりました。煙突から、白い煙が出たら、新しい法王が決まりましたね!でも、その煙突実は、その時だけ臨時に造られた物ですって!!
トレビの泉 スペイン広場

 
 トレビの泉もスペイン広場も観光客でごった返しています~!!
スリも多く多発しているそうです!!ご覧の通り、トレビの泉では、み~んなコインを投げ入れるし・・(コインは回収して、修復のため用いられています・・一年間で一億円!?くらい集まるとか!!) スペイン広場は、「ローマの休日」でジェラート(アイスクリーム)を食べたシーンにより、ここでICEをみんなが頬張るので、汚れが酷くなって、今はジェラート食いは、禁止になりましたトサ~!! 


さよ イタリアへ行く~その8~バチカン市国、サンピエトロ大聖堂 

4月23日(火)バチカン市国、サン・ピエトロ大聖堂、システィーナ礼拝堂、トレビの泉、スペイン広場を観光した。

バチカンはローマ教皇庁によって統治されるカトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地、いわば「総本山」である。バチカンの統治者はローマ教皇である。
通称バチカンは、ヨーロッパにある国家で、国土面積は世界最小である。
バチカン市国は、南東端にあるカトリック教会の総本山。
 サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意で、キリスト教の使徒ペトロ(ペテロ)のイタリア語読みに由来する。
サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所があったところに建立されたとされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇る。床面積2万3,000m²。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』として世界遺産に登録されている。
バチカン1 バチカン2
バチカン4 バチカン3
バチカン市国、この下の窓の所から毎週、水曜日法王のミサが終わってから教皇が、挨拶に現れる。この前のピエトロ広場は、信者や観光客で埋め尽くされる。私が行ったときは、火曜日でしたが、水曜日の準備のため沢山椅子が並べられていました!水曜日は特別な予約が必要らしいです。下右は、現地のガイドさん。イタリアでは添乗員がいても必ず現地ではガイドを雇わなければならない。国で決められている。
バチカン5
衛兵:ルポン大佐は、ミケランジェロがデザインしたと伝えられる、16世紀に採用された青と黄、オレンジの縦縞模様の軍服を復活させた。世界最古の軍隊であるスイス衛兵隊は、16世紀には教皇軍として、オスマン軍と戦った歴史をもつが、今では実戦用の武器を携行することはない。彼らが手にしている斧槍は装飾であり、実際に戦うためではない。現在では、衛兵に選ばれることは栄誉とされていて、一度経験すればその後の就職等に有利になるそうだって~!!
バチカン市国博物館1 バチカン市国博物館2
サン・ピエトロ大聖堂の天井とサンピトロのピエタ像。(ミケランジェロ作)
ペテロ像
ペテロ像・・この像は長い間13世紀のアルノルフォ・ディ・カンビオの作とされてきましたが、最近の説では4世紀のシリアの無名の作家によって作られたものということです。ということは、すごく古い!
聖ペテロの祝日である6月29日にはこの像の上に教皇の3重冠が被せられるそうです。







さよ イタリアへ行く~その7~ローマ 

4月23日(火)朝からローマ観光へ。
ローマのシンボルでもある円形闘技場「コロッセオ」
コロッセウムはネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の庭園にあった人工池の跡地に建設された。構造は火山灰を利用したコンクリートで出来ている。鉄骨を用いないコンクリートにも関わらず幾多の地震の際も崩壊しなかったのは、全体が円筒形で力学的に安定していたためである。コロッセウムに使用されている建材は、中世を通じて他の建築物に流用され続けた。大理石はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にも使用されている。それにもかかわらず往時の姿をとどめているのは、迫害されたキリスト教徒がここで殉教したと伝えられていたため、一種の聖地となっていたからである。しかし、キリスト教徒が迫害されたという明確な証拠はない。かつて多くの殺人(公開処刑を含む)が行われた場所であることから、現在では死刑廃止のイベントのために使用されている。
コロッセオ1 コロッセオ2
長径188m短径156mの楕円形で、高さは48m、45,000人を収容できた。また、天井部分は開放されているが、日除け用に布を張る設備があった。左の写真:壁面の穴は戦傷の痕ではなく、建設および補修時の足場用の木材を挿入するための穴である。右の写真:コロッセウム内部。地下にあった施設が現在ではむき出しになっている。ここには、動物が飼われていた。この上に木材を敷き砂をまいて使用していた。

 コロッセオの内部。個々の部屋には、動物が飼われてあって、興奮させるためわざと戦いの時にこの地下から、何万人もの聴衆の前に押し出していた!驚いた動物は、興奮して人を襲ったそうだ・・・!!沢山のクリスチャンも殉教したらしいと言う。それで今でも巡礼が行われている・・。
 ここでは、囚人と猛獣、剣闘士同士の戦い・・。剣闘士は、“ドクトレス”という学校で専用の訓練を受け宿営していた。その主な兵舎は、コロッセオと地下通路で結ばれていた。戦い敗れたとき、もし王が親指を下に向ければ負けた方は、殺された・・。
また、さらにお気に入りの勝利者には、大金がかけられた。


さよ イタリアへ行く~その6~サン・ジミニャーノ 

 4月22日(月)フィレンツエのホテル“ロンドラ”を出発。ローマへ。
途中下車してサン・ジミニャーノ散策。
サン・ジミニャーノはローマ近くフィレンツェから 50km 程南に位置している。街の名前は398年になくなったモデナの司教、聖ジミニャーノからとられた。
地理的にフランチジェーナ街道とピサーナ街道の合流地点に位置する流通の主要拠点であり、また、聖ジミニャーノの遺物「指と指輪」が安置された聖堂への巡礼者が多く訪れる街として繁栄した。街には以前から防衛のための塔が建設されており、13世紀に入り街が繁栄したことで、貴族の権力の象徴としての塔建設が次々と行われ、50mを超える物を含む72もの塔が街内に建設された。教皇派と皇帝派に分かれて、より高く、美しい塔を建てることを貴族同士競い合った。しかしその後、ペストの流行と内部での権力争いによって町が衰退し、1353年にフィレンツェ共和国に組み入れられる。
 14~15世紀最盛期。16世紀フランチジェーナ街道は、衰えた。
当時の高い塔は、権力の象徴であった。・・・日数と経済力を示す物だった。
塔には、塔と塔を結んで橋を架けるための穴が残っている。今現在、14本の塔が残っている。街には、1262年に造られた5つの門がある。(サン・ジョバンニ門・・)
サン・ジャミニャーモ1 サン・ジャミニャーモ2


☆ピザの種類名
 カプリチョーザ・・MIXのこと。capricciosoは、気まぐれな、思いつきでの意味。
 マーレ    ・・・海の幸 Mareは、海、海洋。
 クワットロ・・4つのチーズ。quattroは、4,4つ。
☆「ダボラ・カボラ」というファーストフード店がある。
☆サン・ジミニャーノのサンとは?・・聖人のこと。
 サンは、男性に使う・・・・サン・フランシスコやサン・マリノ 等。
 サンタは、女性に使う・・・サンタマリア やサンタバーバラ 等。
☆では、サンタクロースは、
 4世紀 セント・ニコラウスが、なまってサンタクロースとなったとされている。
☆ヨーロッパには、コンビニはない。ハンガリーには、ナイトマーケットがあるが、曜日が決まった時のみ夜空いている。例)木曜日ショッピングデ-など。
 自動販売機もナシ。 


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