感動すると言う事 

最近心が打ち震えるような感動したことありますか?
ピアノを弾いていても歌を歌っていてもそうですが、自分の出来る範囲の物ばかりやっていると感動が薄れていってしまい、ついにはやる気さえもなくなっています。

 何気ない繰り返しの日々でもちょっと1つ違うことをしてみたり、ちょっと違う方に目を向けてみる。そうするといつもやっていることが新鮮に見えてくる。
勉強も信仰生活もそうかもしれない。
 でも心が打ち震えるほど感動をするには至らない。

 私は、そんな心がぱっとはれてすっきりするような感動をするときがあります。クラッシックの音楽会で歌を聴いて感動するときです。同じ歌を聴いていても、聞く人の心の状態で感動まで行かないかもしれません。~そこまで感動すると言うことそれはある程度の本人の心構えにもあると思います。それは学びだと思います。
ある程度知っていなければ本当の感動は味わえません。

 私は、歌の学びの大変さ、そこまでの積み重ねのすばらしさを歌の中に見いだしたとき感動してしまいます。以前聞いた"キャサリン・バトル"さんのソプラノも凄かったです。ついついぽろぽろ泣いてしまったほどです。

 でも、どんなに上手な人でも練習を重ねていない曲は、感動しません。技術は足らなくても賢明に練習したものは、心が通じ感動してしまいます。
 きっと、他の勉強もそうです。学ぶことの感動を知っている人は、学ぶ意欲だけではなく生きていく意欲も失われないでしょう。

 自分は、人より優れていると思い始めたときから学びをやめたり、もう頂点だと思いこんだ時からどんどん感動しなくなっていくようです。感動すると言うことは、謙遜にならなければ出来ないことだと思います。

 私は、老人ホームに音楽の奉仕で行くことがありますが、なんとそこには、目の死んだ暗い人が多いことでしょう。皆、手厚い看護で申し分ないほどですのに。。。生きる意欲やいろんな事に興味を失った人がなんと多いのでしょう。

 自分だけの世界にはいると脳も同じ方面だけしか考えないため萎縮して働かなくなるようです。~呆ける原因かどうかは解りませんが・・・
そんな人たちに私は、少しでも感動を伝えられるようにしたいのです。

 数日前の音楽会はすばらしかったです。私が昔教えて頂いた恩師の歌です。もう、83歳なので大きな声も出ません、昔のような張りもありません。でも、その声は、昔のような”私のすばらしい声を聞かせてあげるわ”という意地はなく、平安と優しささえ感じられるものでした。昔は、あんなに声も出て凄い歌だったのに感動したことがありませんでした。~今は、その歌う心が歌の中ににじみでて共感をしてしまいました。

 ”感動”を忘れない人生を送れたらすばらしいでしょうね。[:ハート:]


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