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とあるブログからの抜粋2 

☆☆「愛」は、あらゆる不幸を消し去ります。

どんなに金持ちになろうと、愛がなければ幸せにはなれない。

いくら成功しても、
誰も見てくれないし、誰も話を聞いてくれない、誰も近寄ってきてくれない。
では、幸せとはいえないのです。

人は、自分の成し遂げたことや、自分の存在そのものを
誰かに認められたとき、
「自分は愛されている」と感じることができます。

それが、あらゆる不幸を消し去ってくれるのです。

そして、認めてくれる人が多ければ多いほど、
人は大きな愛を感じます。

☆そんな愛を感じたとき「感謝」の気持を返しましょう。

「感謝」なしに「愛」は育たないのです。

   「勇気」ある「情熱」的な行動で人を集め、

       「感謝」と「愛」で人を癒す。

イエス・キリストがやったことです。

☆ 「勇気」「感謝」「情熱」「愛」。4つが備わると幸せが続く。

「勇気」「感謝」「情熱」「愛」
すべて大切なものだけれども、
単独では永く続く幸せは得られない、

まず、他人の批判や失敗を恐れず、
自分の夢に向かい「勇気」を持って行動を起こす。

次に、目標に向かって「情熱」的に取り組み、
得られた良い結果に対して、神様のおかげだと「感謝」する。

そうすれば、「愛」を受け取り、与えることができる人物になれるのです。
→ここまでが、とあるブログの抜粋です。

・・さよは、この文を読んだとき、老人ホームのOさんに頼まれていった“湯々ランド”の事を思い出しました。続く・・


Comments

寂しいクリスチャンに遭遇しました。
愛の交わりに餓えているような。
逆に、病や孤独の中にあっても、祈りという最大の奉仕に徹し
輝いているクリスチャンもいます。
信仰があればすべて満たされるとは思っていません。
満たされない中でも神と格闘することが信仰だと思っています。
渇きこそが、神への気付きがあたえられる、神からのプレゼントだと。
でも・・・
やはり、クリスチャンが、餓え渇いているのは、悲しいですね。
さよさんが感じたことが、少しわかったような気がしました。
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2008.02.20 Wed 11:41
 くりさん。書き込みありがとうございます。
クリスチャンであってもそれぞれの信仰や心の状態で色々な方がいますよね。私は、老人ホームのクリスマスカードの制作を手伝って貰うことで随分、攻められたことがあります。・・・同じクリスチャンであっても教会の奉仕だけを奉仕だと思っている人もありますし、基本的に奉仕は、神様と自分の関係ですからそんなことで自分の信仰が揺らぐことの方が、危険です。
 良いことと思っていてもあなたから押しつけられると出来ないと、言われれば黙ってしまいます。それかといって黙って一人で、カード作りをするとそんなつもりじゃないと言って又、攻められます。
・・・人って難しいよね。クリスチャンだからこれくらい解ってくれるだろうなんて、信用していたつもりでしたが。・・・
 でも主が心を元気にしてくださっていますから、今はもう過去のことですが。
自分が恵まれている人ほど、それに気がつかず満たされていない思いが強いように感じます。
 私もまだまだ、成長段階です。いつも人のアドバイスに耳を傾けられるようへりくだっていたいですが。
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2008.02.21 Thu 09:55

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